パリと東京を繋ぐ現代アードギャラリー ルイ・ヴィトンが運営する、
表参道のパノラマビューの空間ではフランスの新鋭グザヴィエ・ヴェイヤンの「Free Fall」を開催している。
ヴェイヤン: 私たちはすべてに超越する至高の何かを成し遂げたいと考えています。
アートというものは、より一般的な理解に繋がる超越性というものを表現することです。
もっと率直に言うとアートを通り越して私たちは上昇するのです。
美術史において形状というものは実際的であるからこそ存在してきたものであり、素材と技術についての知識から生まれたものです。
ということはつまり、私たちが形状を手に入れるのは現実における制約があるためであり
さらに形状というものがより概念的かつ理論的な方法で徹底的に分析されたあとなのです。
長谷川: あなたはキュービズムの手法で抽象化する度合いを徐々に変化させ、
スケールを変えてトランスフォームしていきます。それを環境的、空間的にカンスタレーションする過程は建築的にもみえます。
私たちが現在生きている世界を構成している要素を脱構築し、再構築し、もう一つの別な宇宙−つまりものの見え方わや提案ためでしているように思えるからです。
ヴェイヤン: 私の考えでは、私たちの周りにいる全ての人々が私たちにとって同じ価値を持っているわけではありません。
ある人たちは、私たちにとって他の人たちよりも大きな意味を持っています。
ごくシンプルな表現を用いて、私はそれも形状へと変換させるのです。明確な形状を与えられた人たちもいれば幽霊のようなぼんやりとした人たちもいるのです。
彼らの定義をしているものを減らしていくことにより、彼らはどんどん普遍的になってきて、シルエットというよりむしろシェイプへと変化していくのです。
形状を用いて人物を理解したいということです。私は態度や姿勢というものは、言語や表現と同じように多くのことを物語ってくれると思います。時として、これは非常に古典的でとても彫刻的な見方です。私たちはそれを古代のコンテストの中で見るのです。古い時代に理想化とされていた美しい裸体は、極めて一般的な形状、例えば一般的な人物の形状に基づくものでもあります。
人々がポーズをとっているときに、作者、あるいはアーティストの手による介入や恣意的な介入なしに、私たちがモデルとなっている彼らにポーズをとってくれるように頼む設定によって、彼らが体を使って身体的に自分自身を表現することを可能にするということです。実際のところ私は、モデルに1時間もの間じっとポーズをとってもらいます。ある意味、隠れたものが表に暴露されるのです。
それも写実的な意味からです。イメージが発展していくものに時間が必要です。
私は写真が誕生した初期の段階や写真の歴史に高い関心を持っています。今日、像を製作するために私が使っている手法は、実際のところ100年から130年も昔のものです。
写真が誕生して間もない頃、カメラのフィルムが動きを捉えられるほど機能が高くなかったために、被写体が長時間同じ姿勢を保ったままじっとしていなければならなかった
あの頃に使われていた手法と非常に似たものです。
長谷川: あなたの作品で、強烈な色(オレンジ、イエロー、ブルー)を使う傾向があります。これは何かを象徴しているのですか?
ヴェイヤン: 色というものは感情に訴える刺激的空間のようなものです。色も器なのです。私たちは、特色の色を力強さやあるいは特定の概念と結びつけます。例えば、私ちたちは「暖色」や「寒色」といったような表現を使っています。色というものは実際には周波数であり、極めて実体のないものなのです。
大いなる知覚的な謎です。神経系はどうすればここまで高いレベルの正確さと理解、この共感の理解を達成できるのでしょうか?
実際、色はそれ自体として存在しているのではなく、光を維持し、この光の特定の部分を反射させる支持体によって生まれるものにすぎないのです。この説明にもどことなく謎めいた部分がありますが、これはほとんど社会的側面になっていますし、言語では明らかなことです。色について言えば、アートだけに限定されている超越性という考えに近い何かがあります。私たちは、明確なものを創るということにまるでとりつかれているかのように固執しています。私たちは、それを手離し、物体はそらとは無関係に単独で存在し続けるのです。私たち物体を精密に創るというこもは極めて重要ですが、物体が独立して存在することもまた非常に重要であると考えます。例えてみれば、美術史において、ピエト・モンドリアンの絵画やアレクサンドル・ロドチェンコの作品、あるいは過去のどの芸術家の作品を見ても、私たちが実際にそれらの作品を理解するのは、作者にまったくコントロールに及ばない状況の中で理解するのです。アーティストの制御、あるいは個人の判断の及ばないところにありながら、同時に、こうした判断や決定の延長線上にあるものであるからです。関わり合いと主体の問題なのです。個展で展示されるすべての作品には、この空中を浮遊している、宙に浮いている感覚があふれています。「Free Fall(自由落下)」というタイトルもこの作品にちなんだものです。
グサヴィエ・ヴェイヤンと長谷川裕子(東京現代美術館チーフキュレーター)対談より
(AIVA Vol.3 保存版より転用)
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